最近読んでいた本に、俵 万智著
「百人一酒」というのがある。
新聞の夕刊にコラムで連載されていた、ワインから日本酒から「酒」に関するエッセイを本にしたもので、知識がなくても相当楽しめた。
酒にまつわる紀行文や、合う料理や、新宿ゴールデン街でバーテンダーのバイトをしていた時の話等、うんちくをたれたガイドブックより頭に入るのでは。
ただ残念ながら、もし本当に私の頭に詰め込まれたとしても、それが生かせる機会が私にはないのだけど。
ブログに何度か書いてるが、私は本当に酒に弱い。
どのくらい弱いかというと、アルコール綿を使ったパッチテスト
(脈のあるところにアルコール綿を数分置いて、皮膚の色を見る。
赤ければそこが酔っているということで、弱いと判定できる)
採血の際に2〜3回ゴシゴシ擦るだけでも、あ〜ら不思議、真っ赤なのだ。
「これだけですぐ赤くなるのなら、あなた飲まない方がいいわね^▽^」
高校入学時の貧血検査で、担当の看護師さんはコロコロと笑った。
それだけに高卒で就職したばかりの時は、実に苦労した。
数々の言い訳を駆使し、大体はあきらめてくれるのだが、中には
「俺の酒が飲めねえのかよ!!」と本気で気分を害する困ったサンもいた。
「大学の体育会系じゃあるまいし、いっそクジラ(仰向けに倒れてリバースすること。その姿がクジラの潮吹きに似ていることから。医療界のスラング)になって飲酒厳禁のレッテル貼られたほうがいいか」と、仕方なくビールをグラスで1杯頂戴し、クジラは免れたが「下半身がマーライオン」だった(当時は酔うのも早いが、アルコールが抜けるのも早かった)。
新人の時は何かとお呼びがかかり、毎週末は
「歓迎会だ懇親会だ新人はこういうときに顔を売っておいた方がいいわよ」
その度にこちらも防戦態勢で
「だって私未成年ですからアセトアルデヒド欠損症なんです飲むと脱ぐ癖があって(嘘)」
これを十数回繰り返すことで、あいつは勧めても飲まない・飲めないと、めでたく認知されるようになった。
でも飲み会は大好きなので、誘われるとホイホイついて行ったものだ。
今でもよく覚えているのは、生まれて初めて居酒屋へ行った時。蒲田駅西口の線路沿い、ユザワヤの先にあったろばた焼みたいな店で(後にコンビニに変わってしまったが)そこで食べた「炭火焼のアスパラベーコン巻」
すごく美味しかった…T_T アスパラベーコンを見るたびに思い出す。
こうなると酒にまつわる失敗談もある。
飲むと即失敗談といっても大げさじゃないくらい。
・97年初夏の「説教で仮死状態事件」
(説教の弾みでヤケ酒、タクシーで強制送還後に、寮の玄関で倒れて発見。遅かったらコンクリートに体温を奪われて死ぬ所だった)
・同年秋の「穴があったら入りたい事件」
(懇親会でほぼ初対面のK澤さんに絡み、偶然だがK澤さんはこの翌週に転勤の辞令が下り、私と同僚になった)
・98年春の「急性肝炎事件」
(日本酒をちょっとで急性肝炎・ホントだるくて辛かった!!でも生活かかってたので、休まずバイトに行ってた)
一番最後に飲んだのは「99年秋 山形泥酔事件」
試合の前日に山形サポの皆さんとコテージに1泊し、試合前夜にもかかわらず大騒ぎした際、同行した一人に「まあせっかくの機会だし」とサワーを渡された。
実は唯一飲める酒が「生グレープ(レモン)フルーツサワー」
濃縮還元じゃなく果汁100%「目の前で絞りたて」だと、飲めることがある。美味しいから…
この時は美味しい空気(蔵王山中)に満点の星空、愉快な仲間達とドンちゃん騒ぎ、もういいでしょう!とグビグビいったのだが、仇になった。
階段を頭から蛇のように這って1階のトイレへ。それまでいくら酔ってもリバースすることはなかったのだが…。
その後ピクリとも動けない状態で発見された。
それ以降、間違っても酒を勧める人物はいなくなった。めでたしめでたし。
ちなみに勧めた人物曰く「飲
まないのは知ってたけど、飲
めないのは知らなかった」
この差は大きい。
結婚式(氷川神社で神前)の時も「盃に口だけはつけてください」と言われたので、つけるだけで本当に1適も飲んでいない。残った分はどうするんだ?と見ていたら、角の方で小さな容器に移して処分していた。
盃は記念に神社からいただけます。
「飲めないのに(飲み会に来ても)つまらないでしょ」と言われることがある。それは偏見だ。飲むのが目的じゃなく、その場の雰囲気が楽しいから好きなのだ。
だからもし機会があれば、誘ってくださいね

喜んでついて行きます。